ビッグ・アイズ

ビッグ・アイズを見ました。2015年1月23日、ユナイテッドシネマズとしまえんにて。

http://bigeyes.gaga.ne.jp/

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 出演はエイミー・アダムスクリストフ・ヴァルツ。監督はティム・バートン。1950~1960年代アメリカの実話に基づいた映画です。

 ユナイテッドシネマズは金曜日1000円デー。上映作品を調べて「題材と監督にはさほど惹かれないけどクリストフ・ヴァルツの芝居を堪能できるかしらね」と思い、行ってみました。「某町山さんもラジオ番組で紹介してたし、そんなに悪い映画じゃないだろ」なんて。



 あらすじ。

 夫の横暴に耐えかねたマーガレット(エイミー・アダムス)は娘を連れて家を飛び出す。誰も頼ることが出来ない状態でサンフランシスコを新天地に選ぶ。

 女性が職に就く事が珍しかった時代、マーガレットもご多分にもれず労働経験がなかったが、娘を養うために就活。唯一の特技である絵画・イラストの技術でなんとか就職することが出来た。

 休日は路上で似顔絵のアルバイトをするマーガレットだったが、せっかく描き上げても値切られてしまい、ごくわずかな金額しか得られない。

 そうしていると隣で描いていた男の画家が近づいてきて「安売りしちゃダメだ。君の作品にはもっと価値がある」と褒めそやす。男は「見ててごらん、あの女の子に君の絵を売ってみせよう」と言ってセールストークを展開。しかしその女の子は席を外していたマーガレットの娘だった。「この絵はぜーんぶ私がモデルなのよ」

 これがマーガレットとウォルター(クリストフ・ヴァルツ)の運命的な出会いでした。

 この出会いのシーンでマーガレットの口下手で控えめな人物像、対するウォルターの巧みな話術と強気な性格という対称的な描き方を自然に強調しています。うまいですね。それにしてもクリストフ・ヴァルツの顔面には隠し切れない中年っぽさがあって、主人公がたちまち恋に落ちる相手としてはどうなの、と思いました。

 やがて2人は結婚するのですが、元夫との関係を精算して娘の親権を渡すよう命じる裁判所からの通告が届き、

マ「私に娘を養育する権利はないって…」
ウ「だったら僕と結婚しよう」
マ「えっ!」
ウ「断る理由を考えないで。Yesと言う理由は100万以上あるはずだろ?」

 という「弱みを見せた途端にプロポーズして押し切る」という流れは、脚色としてうまいなと思いました。結婚した理由に1つのロジックを組み込んでる。「怪優・クリストフ・ヴァルツここまでクサいセリフを吐かせるのか!って意味で笑えました。

 顔馴染みの画廊に自分達の絵を持ち込むウォルターだが、つまらない風景画(byウォルター)だけでなく大きな目が特徴的なマーガレットの絵も理解してもらえず。

 ちなみに画廊店主を演じてるのは『スコットピルグリムvs邪悪な元カレ軍団』のラスボス・ギデオン役ジェイソン・シュワルツマン。ゲイっぽいルックスなのは共通してる。

 ウォルターは続けざまに地元の有力者がオープンさせたバー/クラブに営業をかけ、夫婦の絵を展示する許可を得る。

 作中のウォルターが見せるセールスマンとしての資質を見ていると、彼がいなかったらマーガレットの絵が脚光を浴びることも無かったんじゃないか?と感じるんですよね。ある意味ではとても優秀な人物なのは間違いないんですね。マーガレットの対極にいるクチだけ能無し野郎、みたいな造形ではないのです。そこが面白い。

 あることをきっかけにマーガレットの描くBIG EYESなイラストが注目され、トントン拍子で大人気になります。

 その中で「この素晴らしい絵は誰が描いたの?」と問われたウォルターが「私が描いたのさ!」と、決定的なウソをつくシーンがやってくるのですが、その大ウソもマーガレットの目の前で堂々と告げられるのです。

 この映画は「妻に黙って自分の作品だと公言し続けた夫」みたいな話(そこに発生するバレるかバレないかサスペンス物語)ではなくて、「大きなウソを共有させて後戻り出来ない状況に妻を追い込むことで共犯関係を強いた夫」という奇妙で信じがたいノンフィクションなんですよ。

 そこのサスペンス性をコメディ映画としてうまく取り入れていたらもっとスリリングな物語になっていたように思うのですが、その辺はいまいち気が回らないティム・バートン

 こういう雰囲気を作るがうまい監督として思い浮かぶのがポン・ジュノだったりします。今作は脇役の造形や展開の押し引き中途半端な印象が残りました。

 マーガレットが心血を注いだ作品をあくまでも商材としてしか見ていないウォルターの無神経さはアーティストの視点から見ると正に噴飯ものなのですが、それでいて、妻の作品の価値を陥れようとする他者に対しては本気で怒りをぶつけるウォルターの姿勢を見ていると「ボタンの掛け違いさえなければビジネスパートナーとして理想的な関係を構築できたんじゃないか?」なんて感じなくもないのです。

 そういう意味ではなかなか面白いバランスで描かれていると思います。最後まで見ると「前言撤回!単なる銭ゲバだわこの男!」って結論に至るんですけどね。

 当時はポップアートという概念がまだ成立していなかった時代であり、自分が苦労して完成させた絵がポスターやチラシとして安価で投げ売りされているのを見たマーガレットはどんな感情を抱いていたのか。興味深いです。

 ウォルターは新聞記者と共謀して自分の作品の価値を高めるマッチポンプ(ステマ)行為にも積極的。その浅ましい姿を描くこの映画には、改めて現代のアート界ショービジネス界に対する警鐘を鳴らしているようにも思えます。

 ウォルターはマーガレットに様々な言葉を投げかけ、なだめすかしながら作品を描き続けることを命じるのですが、マーガレットの中の不満もドンドン直接的に表面化するようになっていきます。

 マーガレットは当時の自分の心理を「洗脳されていた」と振り返っているのですが、2人の関係は一方的な主従関係に終始しているわけではなくて、「絵が描ける妻」と「描けない夫」という関係にならざるを得ない瞬間があるのです。そうなった時のウォルター役クリストフ・ヴァルツの芝居はやっぱり可笑しい! パワーバランスの入れ替わりもこの映画の見所だと思います。

ウ「水曜日には万博で作品披露、木曜には○○、そんなに浮かない顔することないじゃないか」
マ「金曜日には離婚するわ…」

 この会話は笑いました。高圧的な態度に終始せず、なんとか妻をコントロールしようとした(それが出来ると過信していた)ウォルターがゆえに生まれたドラマ性とも言えます。

 やがて2人の関係は修復不可能な地点を通過。マーガレットはオープニングと同様、娘と共に家を飛び出す。彼女は栄光・栄誉を捨て、ウォルターとの新婚旅行で訪れたハワイに飛び立ちます。

 娘と共に静かな生活を手に入れたマーガレットだったが、それから1年後ウォルターに居場所を知られてしまう。マーガレットは縁を切りたいと申し出るがウォルターは「キミが描いた絵の権利をすべて譲れ」と恥知らずな返答。

 いよいよ愛想が尽きたマーガレットは地元ハワイのラジオ番組に出演し、「BIG EYESの作者は全て私であり、ウォルターは偽りの作者である」と告白。

 そこからはお待ちかねの「ウォルターざまあみろ!」展開に突入していきます。

 いくつかの伏線をここで回収して爽快感につなげているのですが、クライマックスの裁判におけるウォルターの滑稽っぷりはもう少し強調できたんじゃないかと思います。新聞社を味方につけていたウォルターがハシゴを外されて弁護人がいなくなるところとか面白いんですけど、もうひとつ伸びない。

 オープニングの家出、二度目の家出でマーガレットが見せた「後部座席にいる娘の手を握る」という動作が裁判の場でもう一度登場して回収されるのは「おぉ、いいじゃん」とは思いました。こういうナイスな脚色もチラホラ見られるんですけどね。

 裁判が終わってからはウォルターの末路について描写されることはなく、エンドロール前の字幕で説明されるに留まっていたのも残念。クリストフ・ヴァルツという世界最高レベルに評価されている俳優の使い方としては勿体無いですね。これじゃあアカデミー賞ノミネートは無理だろうと。

 一方マーガレットを演じたエイミー・アダムスも、もうひとつ。クライマックスの裁判でも魅力を引き出しきれていないし、全体的に演技を掘り下げられる余地がなかったです。

 結論としては、ティム・バートンはこういうシンプルなコメディ映画に向いてないんじゃないかなーと。彼の思い入れが無かったら成立しなかった企画でしょうけど、ディレクターとしてうまく立ち回れるタイプのシナリオでは無かったように思います。

 それでも「このアレンジにはこういう意図があったんだな」と感じられる部分は少なくなかったので、適度に面白かったと言えます。以上!