アメリカン・スナイパー

アメリカン・スナイパー、見ました。2015年2月21日、ユナイテッドシネマズとしまえんで。IMAX2D。

http://wwws.warnerbros.co.jp/americansniper/

実在したネイビーシールズ隊員クリス・カイルの生涯を描いたノンフィクション。

今作で主演したブラッドリー・クーパーが映画化の権利を買い取り、監督がスピルバーグからイーストウッドに変わった頃にクリス・カイルは亡くなりました。

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あらすじ追います。

予告編でも見られた、イラク国内での狙撃場面からスタート。狙撃というよりもアメリカ軍の進出を狙撃位置からサポートする場面。ビール瓶ほどの大きさの対戦車榴弾を抱えた少年がアメリカ軍の戦車に近づいていくのをスナイパーライフルのスコープで狙い続けるクリス・カイル。

スコープの調整ダイヤルをイジる前後でカメラアングルや被写界深度に変化が無いのが「アレ?」と思いました。

引き金を引こうとする瞬間、彼の少年時代の鹿狩りシーンへ飛びます。父親からライフルでの狩猟を教わっているクリス少年。2場面のリンクっぷりはベタ。

クリスが少年から青年になり、海兵隊へ志願するまでの長い回想シーンはテンポ良くまとまっていて、それゆえに引っかかりがあまり無いです。鹿狩りシーンはもうちょっとタメが必要じゃね、とか思ったり。次の場面は弟がイジめられてるのを助けに入るカイル。子供と子供のケンカなのにバイオレンス描写がけっこうダイレクトで「おおっ」と思いました。

アメリカでは当たり前の、キリスト教原理主義家庭描写が入るわけですが、ケンカをした息子に対する父親の説教がなかなか素敵。しかし「戦地で敵を殺しまくった」というイメージ(結論)に向かって収束していくような描写にも見えて、ちょっと軽いかなと。

目的もなく、ロデオであぶく銭を稼ぐカウボーイ生活を送っていたというクリスは大使館爆破事件のニュース映像を見て軍人になることを決意。トントン拍子でネイビーシールズに入隊。

この前見た映画で「兵士訓練シーンがダメダメ」と書いたわけですが、さすがにこの映画の訓練シーンはしっかりしてました。腹筋してる新兵たちの顔面に水を浴びせながら罵声も浴びせる。人種差別発言当たり前。

続いて浜辺で座ってるだけの地味なシーンなんですが、水温13℃だとか。斬新といえば斬新ですけど地味っちゃー地味。

基礎体力訓練を終えたクリスが実戦的な訓練を始めるのですが、射撃訓練場面が1シーン描かれるだけ。スナイパーとしての素質が目覚めていく過程を描くのに集中しています。

このシーンで射撃が上達していく様と、将来の妻であるタヤとの恋愛模様が交互に描かれ、それがリンクしながら描かれていくのが上手かったですね。迷いを捨てた時、結婚を決意し、スナイパーとしても覚醒する。映画的だなーと思いました。

「男運のない人生が今の君を作りあげた。俺はそんな君が好きだよ」というセリフはなかなかの女殺しっぷり。

長い回想シーンが終わってオープニングの狙撃場面に戻ります。クリスが初めて殺したのは少年。次に殺したのは少年の母親。殺したのが敵らしい敵でないことに悩む姿はベタ。

次の殺しの瞬間はクリスの存在が影の存在として仲間のサポートに徹しているように描かれていてフレッシュでした。突入部隊がじりじり進んでいくところに降ってくる敵の死体。クリスが殺した敵兵でした、みたいな。

スナイパーに特化した戦争映画かと思ってたら「狙撃だけじゃ焦れったいぜ」と言い出して突入部隊に志願しちゃうカイル。こうなってくると普通の戦争アクション映画とあまり変わらなくなってきます。

従来の戦争映画と大きく違う点が1つあって、それはネイビーシールズの訓練に耐えたクリスが、戦場で任務中に嫁さんと電話してる描写。これはフィクションならではのアレンジなのでしょうか?

人を殺す姿勢を崩さないまま電話でのろけてるクリス、それを承知で意味のない会話をして喜んでる嫁。どっちも馬鹿なのかな?と思ってしまいます。実際の戦場はこんな悠長ではないと思うんですけど、ケレン味として追加した描写だとしたら緊張感をそぐだけの下らない演出だと思うし、現実に電話してたんだとしたらそれはそれで馬鹿馬鹿しい。

「あなたが仕事場で苦労してるのは分かってるけどそれでも私にかまって」という描写を見てると、イーストウッドは「女ってアホだよね」って言いたいのかな? って感じてしまいました。嫁の存在がクリスに心労を与えるただの障害でしかない。脚本として下手だと思います。

任務中に嫁と電話する場面がもう1度出てきて、2度目は電話中に奇襲を受けるんですね。通話中の電話がつながったまま、アメリカにいる嫁に現地の激しい銃声が届いて激しく狼狽するっていう描写が入るんですけど、アホづらで電話してる兵士という部分にリアリティを感じないからそこに盛り込まれた悲劇性にまったく共感できない

嫁さんを演じた女優に見せ場を作ろうとするあまり、しょうもないアレンジ入れたんじゃないかと推測するんですが、真実はよくわかりません。とにかく引きました。

いつの間にか"伝説"と呼ばれるようになったクリス・カイル。彼のライバルとも言うべき存在がムスタファという名のスナイパー。映画はクリスとムスタファのライバル物語の様相を呈していきます。

ここにも違和感が拭えないんですよね。

ただの狙撃手であるムスタファの排除がアメリカ軍の最優先事項のように描かれていて、クリスもそれだけに執着するような描き方をするわけです。

ムスタファによってチームメイトが殺される。復讐を誓う。再び対峙する。またも仕留められない。そして三度リベンジの機会がやってきた…!

クリスは4度の中東派遣を経験しているのですが、毎回のようにムスタファと出会っているんですよ。アメリカ軍の派遣先って決して集中的なものじゃなくて広範囲だと思うし、ムスタファだってクリスを付け狙ってたわけじゃないでしょう。

なのに自然と物語が2人のスナイパーのライバル物語になっていて、ノンフィクションとしてのリアリティと映画的な起伏を付与するためのアプローチとの間ですごく中途半端になってる!

その点『ゼロ・ダーク・サーティ』はかなりのリアル志向で、そこに加えられた若干の味付けが適度に効いてて絶妙だったと思います。

クライマックスは「敵地なのに拠点防衛する側に回るアメリカ軍」という構図が面白かったですね。

狙撃ポイントに付いたら予想外の場所からムスタファが超長距離狙撃を仕掛けてきて、それにクリスが対抗する…この流れ自体はすごく燃えるんですけど、狙撃には特にロジックも無いし風を読むような仕草もない。クリスが発射したらCGの弾丸がスローモーションになるという演出も正直ダサい

因縁のムスタファを排除した後はビルの屋上に追い込まれての激しい銃撃戦になるわけですが、まあここの描き方もフレッシュさは無かったですね。アメリカ軍が撃てば敵に当たるし、敵の弾はほとんどアメリカ軍に当たらない。ハリウッド映画ならではのテキトーな乱戦。

…ノンフィクションを元にしている割に、思った以上にケレン味を効かせた戦争アクション映画になっていたわけですけど、やっぱり主題としては「戦場で心が壊れてしまった人間」を描こうとしていて、どうしてもバランス感覚が悪い印象。

圧倒的戦果を周囲が称えるがゆえに、その祝福がクリス・カイルという人間を戦場から引き離してくれなかった。称賛がいつからか呪いに変わっていたと考えるとゾッとしますよ。

"呪われていた"クリスですが戦場で手足を失うこともなく無事アメリカに帰還し、退役。PTSDに苦しむ描写もあるのですが、それをなんとか克服。家族と過ごす時間を取り戻すことに成功します。

しかしクリスは自分と同じ退役軍人との交流中に射殺されます。この映画ではその瞬間は描いていません。

クリスが最後に自宅で過ごしている日常風景はあまりにも不穏で、玄関から出ていくクリスを見つめる妻の視線もしつこいくらいに強調されてます。この辺のディレクター感性もちょっと好きになれなかったですね。

クリスが家を出た瞬間に映画は終わり、字幕でクリスが殺害された事を説明。その後は現実のクリス・カイルの遺体が運ばれていく葬列、アメフトチーム・テキサスカウボーイズのスタジアムで行われた葬儀の映像などが繋げられます。

こういうのを見せられると「アメリカって国は何をやってんだろうな」と感じますね。敵国というべきかさえ分からない国に乗り込んで外国人を殺して、殺させた自国民の人間性を壊している。

現実問題として、アメリカ軍として海外派遣された退役軍人による殺人事件がものすごく多いそうで。そうまでして外国の地で得たい勝利とは何なのか? テロリストを全滅させたところでテロリスト予備軍は根絶させられないわけで。むなしい戦いですよね。

そんな中で生まれた"伝説"的な英雄に関する映画を見せられた外国人として自分は何を思うべきか。なかなか難しいところです。

クリスが殺された場面、描いても良かったんじゃないかと思います。「PTSDによる殺人事件の被害者になりました」っていう字幕よりよっぽどインパクトがあるし、意義もあると思うんだけどな。

監督したイーストウッドに対しても、160人を殺したクリス・カイルに対しても、映画化の権利を買ったブラッドリー・クーパーに対しても、製作者に対しても、称賛は送りたくないなというのが正直な気持ち。なぜだろう、「こんな映画作る意味あったの?」 ってくらい肯定的になれない自分がいます。この映画で3億ドル稼いじゃうハリウッドに、どうしても欺瞞を感じざるを得ないんですよ。マッチポンプ的な。

脚本的な流れもあまり好きじゃないし、イーストウッドならではのキレた演出みたいなものも感じなかったし、そもそもノンフィクションだからイーストウッドの意見・スタンスがどれほど反映されてるかも見えてこないし。

アメリカがやってる戦争に一切の意義を感じられないという意味ではイーストウッドのスタンスとまったく同じところに立った自分ですけど、それを証明するための映画としてはすごく中途半端な印象でした。監督が監督なら、もっと右翼的な映画になっていたかもしれないですけどね。クリス・カイルが今も健在だったらどんなオチを付けてたんでしょうか。

日本人でも大絶賛する人が多い作品ですけど、個人的には引っかかりが無かったです。すごく大義のある映画に見えるからこういうのって批判されにくいんだろうなあ。