Whiplash/セッション は今すぐ見るべし

Whiplash(セッション)、見ました。

2015年4月17日、TOHOシネマズ新宿にて。4月21日には東宝シネマズみゆき座で観賞。

http://session.gaga.ne.jp/

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公開初日に見たから言えることですけど、これはすぐにでも映画館で見るべき大傑作です。今年1本くらい映画を見てやってもいいよと考えるなら、とりあえず『セッション』を見てください。

想像を超越する裏切りがあるし、その先に描かれているものは映画の枠を超えた領域。

「自分は何を目にしたんだろう?」 その答えに辿り着くため、この映画を見てからのチルは何度も何度もクライマックスの光景を回想し続けています。

まずこの映画の概要について。

脚本・監督を担当したのはデイミアン・チャゼル。製作当時28歳だった彼にとって、初の長編監督作品。インディペンデントを評する最高峰の映画祭サンダンス・フィルム・フェスティバル2014にてグランプリと観客賞を受賞。2015年アカデミー賞にも多数ノミネートされ、J.K.シモンズが助演男優賞に輝いた。

昨年公開された『フルートベール駅で』もサンダンス映画祭2013で2冠に輝いていて、個人的にはものすごく感動したので、当然『Whiplash』にも期待をふくらませていたんですが。

しかし『Whiplash』の評判はフルートベール駅でよりも遥かに大きく、「ラストシーンがスゴい&ヤバい」という表現も伝わってきてました。最後に何が待ってるんだろう?みたいな意識は出来るだけニュートラルにしてから見に行きました。

4月17日金曜日、この日は新宿歌舞伎町のコマ劇場跡地に出来たTOHOシネマズ新宿のオープン日でした。仕事を終えて埼玉から新宿へ。



http://www.toho.co.jp/shinjukutoho/

ドドーンとオープンした新宿東宝ビル。ゴジラもお気に入りみたいです。この日は強い雨が降ってましたが映画館ロビーは人でいっぱい。なんか嬉しかったですね。

Whiplash(セッション)はこの日だけで16回上映。ワイルド・スピード最新作に負けないくらい最大級の注目作品といえるでしょう。

さて、あらすじを追っていきます。まだご覧になっていない方も、途中までは読んでオッケーだと思います。

薄暗い教室でドラムを叩く青年・アンドリュー・ニーマン。その部屋にスキンヘッドの中年男性が入ってくる。(以下のセリフは不正確です。)

「私が誰か知っているか?」
「は、はい。Mr.フレッチャー…」
「私が演奏者を探していることも?」
「はい」
「だったらなぜ叩くのを止めた?」
「す、すみません」(叩きはじめる)
「…演奏者を探している事に対する答えがゼンマイ式のサルのモノマネなのか?」

再びドラムを叩き始めるアンドリューだが、男は部屋を出ていく。呆然とするアンドリュー。ドアが再び開いて中年男が表れ、「ジャケット忘れた」と言って上着を手にするとすぐに出ていく。

この中年男が、アンドリューの師となる教師フレッチャー。演じているのはJ.K.シモンズ。予告編で見られた緊張に満ちた教室での対面シーンとは違う形で出会ったため、意外でした。

この場面で既にフレッチャーの性格がちゃんと表現されてるんですよね。ただ「イヤなおやじ」、「性格悪すぎ」そういう単純な言い方は不正確で。

この登場シーンからしてフレッチャーはアンドリューという人間をコントロールしようとしているわけですよ。術中にはめる、手中におさめる。そんな意図がビンビン感じられる。そんな意図をビンビン感じさせる、チャゼル脚本とチャゼル演出の素晴らしさ。いやらしさに満ちたセリフ1つ1つがしっかり練りこまれてます。しつこくなくてキレのある悪意。

アンドリューは最初の授業を受けるため登校。登校初日というよりは転入したて。同じドラマーのライアン・コノリーとは仲が良さげ。

フレッチャーのレッスンの前に、別の黒人教師による授業風景が描かれるのですが、これによって「音楽学校における普通の授業」を事情を知らない素人である観客に伝えています。このシーンがないと一面的な描き方に終始してしまうし、偏見を植え付けかねない。さらにはフレッチャーのレッスンの異常さを際立たせているんですね。

授業中にフレッチャーが突如表れ、「May I?」と一言言うだけで黒人教師は教壇を譲ります。明らかなパワーバランス。

フレッチャーの前でいいところを見せようと張り切るアンドリューですが、彼の演奏はすぐに止められてしまう。1曲どころか1小節も叩かせてもらえないほどのシビアな要求に驚き、凹みます。ションボリするアンドリュー。フレッチャーは「ドラムス、来い」と呼びつけます。ライアンが呼ばれたと思いきや「いや、後ろの方だ」と指名されるアンドリュー。「B-16教室、明日の午前6時だ」と招集がかかります。

沸き起こる歓喜、止まらないニヤニヤ。「ほんの少し叩いただけでも分かる人には分かるんだ!」そんな感情が見えてくるかのようです。そんな彼に対して突き刺さる目に見えない嫉妬。プロを養成する場としての音楽学校におけるシビアな現実を描いています。

順調に滑り出したアンドリューは有頂天。映画館受付の女の子をデートに誘ってオッケーをもらいます。公私ともに充実!至極まともな学生生活なんですが、そんな光景を見ていると「おいおいデートなんて誘ってる場合かよ」と思ってしまうんですよね。この時点ですでに、フレッチャーの威圧感に観客としての自分が支配されているようで恐ろしい。

いよいよフレッチャー選抜バンドの練習に初参加するのですが。朝6時から始めるぞと言われていたのに寝坊。急いで教室に駆け込むものの、誰もいない。ドアの横の張り紙には朝一の練習は午前9時からであることが書かれています。

フレッチャーによる嫌がらせ第一弾です。

この辺りからこの作品がスリラー映画としての体裁に近づいていきます。アンドリューと、捕食者としてのフレッチャー、二者の距離感が観客の感情を支配していくのです。

9時になってフレッチャーバンドの練習開始。アンドリューは2番手ドラマーとしてメインドラマーのサポートに入ります。この辺りも十分なリアルさを感じるし、フレッチャーによる恐怖政治をやや客観的な立場から見せてくれます。段階を踏んでいる。

新入りアンドリューを紹介するフレッチャーの口ぶりは歓迎ムードであり、ジョークを交えて紹介してくれます。

その後に、吹奏楽器隊の中から音程がずれている人間を炙り出すシークエンスは、フレッチャーが持つ「恐怖を植え付ける才能」を見事に描いています。そこには「正しい方向へ導くためのロジック」は微塵も感じさせず、絶対君主の存在感だけが際立っているのです。客観的に見ていたつもりの観客も恐怖の坩堝に巻き込まれていきます。

休憩を取ることになり、廊下に出たアンドリューはフレッチャーから優しい言葉をかけられますが、この後の展開を知っているゆえ、もはやネタフリ=ムチを振るう前の飴玉にしか見えません。

フレッチャーは両親について何気ない口調で問いかけるのですが、これは一種の伏線であり、主人公アンドリューの背景を説明する限られた機会としても機能しています。構成として巧い。

フレッチャーの自分に対する態度を見たアンドリューは「自分は才能があるんだ、バンドの救世主となるべく呼ばれたんだ」とばかりに浮かれ気分で練習に初参加するのですが、その気分をフレッチャーは躊躇なく破壊します。

予告編でもフィーチャーされている罵声罵倒の嵐。これ以上ないハラスメント、そして暴力。JKシモンズの新境地をたっぷり、嫌になるほど見せつけられます。学校や勤め先で厳しい指導を受けたことがある観客の誰もが己の人生を重ね合わせる場面であり、そのどれよりもハードコアなフレッチャーの指導。

ビンタと罵声に涙を堪えきれなかったアンドリューは「悔しいです!(I'm upset!)」と連呼するよう強要され、グロッキー状態に。夢を持った青年の心があっけなく壊されていくのを観客は傍観するしかありません。

精神的にめった打ちにされたアンドリューでしたが、すぐに奮起して猛練習を開始。手には傷が出来、バンテージで止血しながらドラムを叩き続けます。音楽的には何一つ気持ち良さを感じられないような無意味な高速シンバル打ち。こういう描写を見て馬鹿だなとかマジレスしてる映画音痴もいるみたいですが、ここでは無意味な方向に突き動かされている若者を描いてるわけですよ。

その後で描かれるのが映画館の受付嬢とデート。ここで描かれるのは「大きな目標を持った主人公」と、「さして目的意識も持たずに生きているごく一般的な学生」のギャップです。この両者のギャップをモロに描いている様はあまりにも残酷。そしてもちろん2人の若者にとってはそれくらいのギャップは大した問題じゃないんです。それがまた悲しい。

フレッチャーのバンドがコンテストに参加。アンドリューはドラムの2番手として会場に随行しているのですが、悪運によってコンテストで1番手ドラムに抜擢されます。ここの経緯は詳しく書かずに「見てのお楽しみ」としておきたいところ。

アンドリューの起用も、もしかするとフレッチャーの意図によるものなのかもしれない? なんて思ったりします。アンドリューの人為的なミスによって一番手ドラマーは地位を奪われるのですが、遅かれ早かれアンドリューを重用するつもりだったんじゃないかと。

このコンテスト(結果は優勝)を機にアンドリューはメイン奏者へと昇格。

その後の「親戚が集まっての会食シーン」、これがおぞましくてリアルで本当に強烈な場面なんですよ。

アンドリューは(色々と苦労したにせよ)順調に実績を残してそれなりにプライドを持っている。しかし親戚が集まった場所ではアンドリューのやってる事の意味・価値を理解する人間が1人として存在しないのです。

2人の従兄弟たちはそれぞれ大学での学業だったりスポーツだったりで結果を残しているんですが、アンドリューから見るとそれらの結果は何の価値も見いだせないのです。大学のアメフトで93ヤードのパスを決めたと聞いても「でも所詮は3部リーグだろ?」と率直に見下してしまう。

逆にアンドリューが「僕はアメリカ1の音楽学校の最高ランクのバンドでドラム叩いてるぜ」と豪語したところで「でも音楽って聴く人の主観で採点されるものだろ?」と馬鹿にされる。自分を理解しようとしない親戚連中に対してアンドリューはだんだんと苛立っていくのです。

父親の兄と思われる叔父の存在が、すっごく絶妙な憎たらしさを具現化した存在として描かれていて!! アンドリューの自慢話が続きそうになると話題を変えるし、自分の息子がアンドリューに責められると「おまえ友達いるのか? うちの息子たちは友達たくさんいるぞ?」と、的外れな攻撃を繰り出してくるのです。

すんげーーーーーーーーーーイヤなオヤジ!!!(あるある!いるいる!)

アンドリューがなんとか反論しようとしたところでトドメを刺すのがアンドリュー自身の父親なところが本当に痛々しい。「それでおまえ、どこかからスカウトされたか?(スカウトされたわけでもないんだから調子に乗るなよ?)」とたしなめられ、アンドリューは完全に孤立。食卓を去ることに。

強烈なリアリティと、人間の心理を見事に描き切った名場面ですよ。

孤独感を再認識したアンドリュー、学校でもさらなる困難が待ち受けています。かつてクラスメイトとして交流していたライアン・コノリーがフレッチャーバンドの3人目のドラマーとして加入するのです。

このコノリーというキャラの描き方も悪意に満ちていて。こいつは基本的に馬鹿なんですよ。ヘラヘラ笑ってるし、フレッチャーの前で初めて叩くシーンではスティックを忘れてアンドリューに臆面もなく借りるし。

そんなコノリーのドラムプレイをあっけなく絶賛するフレッチャー。アンドリューは「こんなクソみたいな演奏で!?」と抗議の声をあげます。この時点でアンドリューは「友人をこき下ろす事になんの抵抗も感じていない」「フレッチャーに対しても口ごたえする」という、危ない人間性を露呈しています。でもコノリーはアンドリューの言い方にイラだったりしてないんですね。とにかく無能。

このコノリー参加シーンの途中でフレッチャーの携帯が鳴り、フレッチャーは退室。それを追いかけて抗議するアンドリューですが、深く沈んだ様子のフレッチャーに叱責され退散。ここは後の場面につながる描写です。

その直後にアンドリューは彼女のニコルと別れることを決断。ここでの言い分も「君と会う時間が作れそうにない。会う時間が減れば君はきっと僕に不満をぶつけるだろう。それに対して僕はストレスを感じるだろう。だからそうなる前に別れよう」という勝手極まりない内容。アンドリューも既に一線を超えてるんですね。

コノリーが参加する初練習。フレッチャーは控えめのトーンで生徒に語り出します。6年前に教え子だったサックス奏者ショーンが交通事故で亡くなった、と。「ショーンはギリギリで昇級を果たすくらいで決して優等生ではなかったが、私だけは彼の才能を認めていた。彼の演奏をもっと聴いていたかった…」なんて言いながら涙ぐみます。

(この辺から核心にせまるネタバレを含みます!!)

このフレッチャーの涙、映画を最後まで見た人にとってはこの場面のフレッチャーがいかにおぞましい存在なのかがよくわかるでしょう。

そしてこの涙の直後にフレッチャーが3人のドラマーに課す最凶レベルのしごき。フレッチャーはBPM400でのシンバル(ハイハット?)連打をキープするよう命じるのですが、誰ひとりとしてフレッチャーの要求に応えられず、そのまま何時間も経過。腕や手の痛みは限界を超え、汗と血が滴り落ちます。

この場面って、フレッチャーがストレスのはけ口を3人に見出しただけなんですよね。耳にしたくなかった情報がフレッチャーの耳に飛び込んでくる。それに対して冷静に対処できないまま、若い生徒たちが八つ当たりを食らう。フレッチャーの異常さが際立っている場面です。

3人はありとあらゆる人種差別用語を浴びせられ、ムチャな要求に耐え続けます。やがて5時間が経過したところでようやくアンドリューが合格ラインに達し、地獄から解放されます。しかしこの合格ラインというのもフレッチャーの胸三寸で決められた至極曖昧なもの。やっと解放されたものの、そこから他のバンドメンバーとの合同レッスン開始。地獄から地獄への移動。

明け方、魂が抜けたかのような状態のバンドメンバーに対して「明日の朝○時にコンテスト会場に現地集合だ」と言い放つフレッチャー。この描写を見ると「フレッチャーもめちゃめちゃタフだし、命かけてバンドと向き合ってる凄い人間なのかも」とか思っちゃいましたね。

地獄系特訓の後のコンテスト。

アンドリューは「乗ってるバスがパンクして」「レンタカーで車を借りて会場に急行するものの」「スティックをレンタカー屋に忘れて」しまいます。

そのまま会場に到着するとフレッチャーから「よく来てくれたな。しかしおまえの代役としてコノリーに叩かせることにした」と言われます。「そんなことは認めない!あなたにそんな権利はない!」と抗議するものの「私のバンドの事は私が決める! 自分のスティックも持ってないやつにドラムは叩かせない!」と拒否。

この場面が恐ろしいのはアンドリューの言い分に正当性がまったく感じられないところ。アンドリューに明白な落ち度を用意することで、スリルを提供する側だったフレッチャーの悪意を希薄に描いている。

自分のスティックを取りに戻るアンドリュー。レンタカー屋でスティックを発見し、そのまま会場へとんぼ返り。しかし途中で信号無視をしてトラックと激突。乗っていた車は横転し、走行不能に。

この辺の展開はとても残酷で、不可避な運命をアンドリューに背負わせているようでもあるのですが、実のところ「スティックを忘れる」「携帯電話で話しながら運転」という過失を犯している。

しかしここで描きたいのは展開ではないんです。こういう展開になったらビックリするでしょ?という意図のシーンではなくて、ドラムで自分を証明することしか頭にない主人公がステージに立つことを諦めざるを得なくなったら…という状況を用意して、アンドリューというキャラクターをさらに深く描こうとしている。

事故でただならぬダメージを負ったアンドリューですが、血を流しながら徒歩で会場に到達。血まみれの服装でドラムを叩き始めます。悪魔のごとき支配者だったフレッチャーもアンドリューの執念に戸惑いを隠せません。

しかしアンドリューのダメージは色濃く、スティックを落とし、リズムが狂い、やがて叩く事が出来なくなります。フレッチャーは彼に「You are done.(おまえは終わりだ)」と告げます。ドラムセットを蹴りあげてフレッチャーに殴りかかるアンドリュー。このリアクションを見ても、失敗することが許されない状況にいるという「幻想」に取り憑かれていたことが分かるのです。

アンドリューは音楽学校を退学。それと同時に、フレッチャーの教え子だったショーンが事故死ではなく鬱病に伴う自殺だった事が分かるのです。弁護士?はフレッチャーが度を超えた指導を行ったせいでショーンが犠牲になった事を証明するべくアンドリューに証言を求めるのですが、彼は証言を渋ります。恐怖の支配がまだ続いているからでしょう。

秋から始まった物語は夏を迎え、アンドリューはコーヒーショップでバイト中。コロンビア大学への入学手続きを進めたりする中、とあるジャズバーの入り口に看板を見つけます。

スペシャルゲスト テレンス・フレッチャ

アンドリューはバーに吸い込まれるように入店し、そこでピアノを演奏しているフレッチャーを見つけます。演奏が終わったところで店を出ようとするも、フレッチャーに呼び止められます。

退学以来の再会は穏やかな会話に終始。フレッチャーはシェイファー音楽学院をクビになった事を告げます。ショーンの同期の生徒か誰かが自分を告発したんだろう、と言いながらも毒気の抜けた優しげな表情を浮かべる。そして、理想を追い求めるがゆえに厳しい指導に徹したんだと告白。それを聞くアンドリューも優しく微笑む。

英語で最も危険な2語、それはGood Jobだ。

そんな言葉で褒められたことで1つの才能が世に出られなくなるかもしれない。私にしたらそれは究極の悲劇だ。


そんな名台詞を急にドロップするフレッチャー。説得力があるように見えます。

店を出た2人は別れを告げるものの、フレッチャーがアンドリューを呼び止めます。「JVCジャズコンテストに出場するバンドに参加してくれないか。あの頃やってた曲…WhiplashとCaravanを演奏するつもりなんだ」と言ってアンドリューを勧誘。

なるほど、こういう形で和解した2人が素晴らしい演奏を作り上げていくんだな…そんな安易な予想は数分後完全に覆されます

久しぶりに叩くドラムセット、久しぶりに着こむ正装。今度こそ準備万端の状態で自分のドラムテクニックを披露できる。フレッチャーの勧誘を受諾したアンドリューは武者震いを打ち払いながらステージ上のドラムの前に着席します。

そこに近付いたフレッチャーは「私を見くびるなよ」「おまえが告発者だな」とささやいてから指揮者のポジションへ。ここで観客はフレッチャーの悪意、アンドリューに対する敵意が未だに消えていなかった事を知るのです。

アンドリューは混乱したままフレッチャーの様子を伺います。観客もアンドリューと同じくらい混乱します。ここに来てこの展開はなんなんだ!? フレッチャーはジャズのスタンダード曲ではなく新曲タイトルを告げるのです。

聞いたことすらない曲をいきなり叩くことを強いられるアンドリュー。なんとかアドリブでついていこうとするのですが、曲構成を読むことはできず、グッダグダの散々な演奏に終わり、まばらな拍手を浴びます。

これがフレッチャーの復讐だったのです! ドラマーとしての心を完全に破壊するために彼が選んだ悪魔的な計画。アンドリューはドラムセットから離れ、ステージ袖へ。そこには異変を感じ取った父親が待っていて、アンドリューを抱きしめます。観客はフレッチャーの執念/燃え尽きることのない悪意の前に沈黙するしかありません。

(ここからさらに衝撃的な展開が待ってます! 映画未見のあなたは読むのを止めて映画館に行きなさい!)


しかし!!!

アンドリューは目を見開くと再びステージへ戻っていき、ドラムセットに再び座ります。そんなアンドリューを無視し、フレッチャーは次の曲を始めようとオーディエンスに向けてアナウンス。「次はスローな曲でおなじみの・・・」

そんな言葉を遮って、ハイテンポなドラム演奏を勝手に始めるアンドリュー!

バンド構成員たち、そしてフレッチャーが唖然とする中で思いの丈を全てぶつけるかのようなドラミングを続ける。ウッドベース奏者に意図を問われたアンドリューは「I cue you! (俺が合図を出す!)」と言い放ち、ドラムを打ち続ける。

ベースマンはアンドリューに合わせる形で『Caravan』冒頭のベースラインを奏で始める。やがてバンドメンバー全員がCaravanに参加!スウィングを始めたバンドを誰が止めることができるだろう!指揮者に支配されないジャズ・バンド!

このCaravanが、高らかなホーンの音色と共に終わった…と思ったらまだドラムを叩き続けるアンドリュー! 完全に独りよがりなドラムソロ! 再び唖然とするバンドメンバーと、フレッチャー。

アンドリューに近付いたフレッチャーは「What are you doing !?」と問いかけるが、ここでも「I cue you!」と返答! そのまま延々とドラムソロを続けます。その長さおよそ5分!

アンドリューの常軌を逸したドラミングを目にしたフレッチャーは「おまえの目玉をくり抜いてやるからな!」などと言って威圧するのですが、アンドリューは目の前でシンバルをぶっ叩いてフレッチャーに返答するのです。「黙ってろ」と。

アンドリューが恐怖で支配できるような存在ではないと悟ったフレッチャーは次第にアンドリューのリズムに共鳴し、乗せられていきます。長年の教師生活ですっかり曇りきっていた彼の目は、アンドリューのむき出しの魂によって本来見るべきだったものが何なのかをやっと理解するのです。

ドラム奏者と指揮者という本来の関係に戻った2人。アンドリューの演奏は、平坦な道のりを進んでいたら絶対に辿り着けなかった異次元の領域に突入していきます。そしてフレッチャーは目を輝かせ、全身にリズムを吸収しながら目の前にいる才能と真正面から向き合います。

衝撃でシンバルが傾いたのを見て元の位置に戻すフレッチャー。演奏途中にジャケットを脱ぎ捨てるフレッチャー。こんな何気ない描写で、アンドリューの熱にフレッチャーが飲み込まれたのを映像的かつ音楽的に表現しているんです。これこそ映画の凄み!

3人のドラマーが猛特訓させられた超高速打ちがここで再び見られるのも泣けます。

テンポが徐々に落ちていき、それを見ながらフレッチャーが「落として…落として…落として…よし、ここから上げて…上げて…上げて…」と目と手振りでアンドリューに指示。それに答えるアンドリュー。2人は完全に同じ方向を向いています。

思う存分にドラムソロをぶちかましたアンドリューはリズムを止め、何かを悟ったかのようにフレッチャーを見つめます。その目を見つめるフレッチャー。アンドリュー。フレッチャー、何事かつぶやく。アンドリュー、笑顔。フレッチャー、バンドにcueを出す。

バンド全体が締めのフレーズを演奏し、アンドリューは最後の力をドラムに叩きつける。シンバルとハイハットを叩いたところで暗転。この映画は終わります。

こんなラストシーンを文字で表現してもすごく虚しいので、ここまで読んだ方でまだ見ていない人はすぐに映画館に走るなりレンタル屋に走るなりしていただきたいのですが、それにしてもデイミアン・チャゼルはラストシーンをどうやって脚本で表現したんでしょうか。

このラストシーンの凄さはまさしく筆舌に尽くしがたいというやつで。それでいて観客それぞれが、映画内で何が起きたのかを読み解く余地のあるものすごく深いシーンになっているんですよ。

今作がジャズを取り扱った映画とはいえ、このラストのコンサートシーンは「戦い」なんですよね。

しかし殴って殴ってノックアウトすればいい、銃弾をぶちこむなりビルの屋上から突き落とすなりすれば勝負が決するアクション映画とは違う、音楽映画なんです。

アンドリューがこの戦いに勝ったのは「俺はあんたにどれだけ妨害されてもくじけないぜ。ドラムを叩き続けるぜ」と意思表示した瞬間なんですよね。

そして敗者であるフレッチャーは白旗を上げる代わりに、アンドリューのリズムに飲み込まれて同調し共鳴したんだということを示した。

このアンドリューの意思表示で思い出したのが、『ダークナイト』のラストでバットマンの選択です。バットマンの崇高なる意志と選択に対してゲイリー・オールドマン演じるゴードンは畏敬の念を覚えます。

そして今作のフレッチャーが作中で示す終わりの見えない悪意は、これまた『ダークナイト』におけるジョーカーの所業のようでもあります。

バットマンの真っ直ぐすぎる魂でさえ書き換えることが出来なかったジョーカーの信念。

しかしアンドリューは絶対悪であるフレッチャーの心を浄化してみせたのです。ドラムを叩き続けるというひたすらにシンプルな方法で。

こんな形で決着する戦いを、私は今まで見たことがありません。そしてそんな結末が、ジャズを題材にした映画の中で描かれるなんてまったく予知していません。だからこのWhiplashという映画は凄いのです。

音楽とは一体何なのか? そんな問いかけもこの映画には含まれているように思うのです。心を消し去った先に真に価値のある音楽があるのか? どんな音楽も心が無ければ意味がない? 本当に? 人はどんな音にグルーヴを感じるのか?

そして、映画とは一体何なのか? 我々が映画に、フィクションに求めるものって一体なんなのか? なぜこの物語に心を揺さぶられたのか? そんな事まで思いを巡らせざるを得ない、ものすごいインパクトの作品でした。これを傑作・名作と言わずして何と言いましょうか。

どこまで言ってもこの映画を語りつくすことは出来そうにないのでこの辺で止めておきます。

アンドリューとフレッチャーの演技が壮絶なものであるのは言うまでもありません。ここまで出来る役者が世界に何人いるでしょう?

繰り返しますが、今年1本映画を見るならとりあえず『セッション』を見てください。ダークナイト以来の衝撃という意味では5~6年に1本の大傑作。しかもどう見ても低予算な作品。日本だって作り得るサイズの映画なんです。こんな映画見せつけられたら、そりゃもう I'm upset!ですよ。

こんな映画に出会えて良かった! 脱帽です。